1 2004年 11月 16日
秋を探して小石川後楽園に行った。 パンフレットには次のように書かれてある。 水戸徳川家の江戸上屋敷内の庭園。1629年初代藩主頼房が庭の造営に着手し、2代光圀に引き継がれた。明の遺臣朱舜水を儒臣として登用し、中国趣味を取り入れた回遊式築山泉水庭園である。園名は『岳陽楼記』の「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から、後楽園と光圀が命名した。小石川と冠したのは、1923年(大正12)であり、岡山後楽園と区別するためであった。現在は都立の庭園として公開されている。(国指定特別史跡・特別名勝) 入園料・大人300円だったが、障害者手帳を見せれば、ただになった。 入り口の売店に水戸の名産品が売っていた。始め意味がわからなかった。なんのことはない、黄門つながりでした。笑っちゃいました。買う人いるのかなあ。 パンフレットのコピーは 水戸黄門ゆかりの大名庭園 大江戸・東京に残る深山幽谷 である。なるほど,なるほど。 お腹がすいていたので、売店でタイヤキを2個買った。市販の出来合いのタイヤキをレンジで暖めただけのような感じ。まずiい。いくら公営の施設だからって、お粗末すぎるんじゃないのかなあ。深山幽谷(?)だから、しょうがないか。 昔、子供達と、時々、来ていた。身体が不自由になってからは、始めてだ。 ベンチに座ってタイヤキを食いながら、しばし、しみじみ~となる。 今度は孫娘とお散歩しようなあ。楽しみだ。 それまで、生きるぜ。黄門さ~ん、見守っていてね。 1400メートルの約1時間のコースを歩く。 小規模ながら、山あり谷ありで、きつかった。この辺が限界だなあ。 佐太郎にとっては、ハードなアドベンチャー・コースだった。 でも、久し振り、自然を味わった。山道を歩く醍醐味を幾分か味わった。 こんな近くに深山幽谷があるんだ。忘れていた。 2月の梅林、6月の花菖蒲の時期には、また来よう。きれいなんだよ。 まずは、秋を探しに来たんだから、紅葉、3連発。 ![]() ![]() ![]() ![]() 日中友好会館の隣り ![]() ![]() その向こうに白い山のように見えるのが東京ドーム 左のビルは文京シビックセンター ![]() ![]() 手すりのない、高さが不統一で、足場の悪い階段を上って、ここまでくるのは大変だった。 ![]() ここもきつかった。 二人のおばさんに「大変ね」と同情された。 うれしいような、悲しいような・・・ ![]() 健常者の大人には、何でもないこの渡り石がこわかった。 途中、足がすくんで、一時、身動きがとれなくなった。 下を泳ぐ鯉を眺めて、心を静めた。 ![]() 「よくやった、佐太郎」 梅林と花菖蒲田のある空間が広がっている。 ![]() オシドリのようにも思えたが?あ、はて? ![]() 水戸藩書院のあったところだそうです。 すぐ向こうは後楽園(一般的に知られている、興行会社)の建物。 こちらの後楽園が、本家本元でっせ。 東京の穴場だよ。自然の宝庫だよ。 こちらの後楽園にも、どうぞ、足をお運びに! なに、セールスしてんだよ。 東京都に何ももらっていません。 本当におススメなんだ。 ▲
by wakahiroo
| 2004-11-16 10:35
| ◎東京よたよた歩き
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