1 2008年 06月 22日
「横浜コトブキ・フィリピーノ」 (出版社) 現代書館 2000円+税 (お薦め度)***** ごめん。書評を書くつもりだったのに、途中で我が青春の回想談になってしもうた。 ![]() いい本に出会った。 フィリピン関係の本をマニラで読もうと、神田の本屋で何の期待もせずに購入した数冊の本の一冊。 神様は気まぐれだ。ときには願ってもない最高の出会いを演出してくださる。 男女の出会いは異なもの味なもの。 ロマンスを夢みて私の王子様と期待して近づいたのに、残酷に裏切られ最低の仕打ちを受けることも多い。たまさか居合わせて顔見知りになり第一印象が最悪だったのに、いつの間にか魅かれ合い生涯を寄り添う伴侶となっているなんてこともある。 出会いなんてそんなもの。 人為的出会いは邪念と欲望に裏打ちされている。偶然の出会いは不純な下心とは無縁。それだけに無上の喜び、予想外の高みへと導かれることがよくある。 この本との出会いはそんなところ。 本との出会いも異なもの味なものなのだ。 いろいろな意味で考えさせられる本だ。 家族という幻想について、意のままに踊らぬ人生について、人の運命の不思議について・・・ 作者レイ・ベントゥ-ラの日本との出会いも決して好ましいものではなかった。 マルコス政治の強権から逃げ出してきた元コミュニスト。海外逃亡者がそのまま不法滞在の出稼ぎ労働者となって横浜寿町に隠れ棲む。 立ちんぼとして日雇い労働。日本の繁栄から取り残された必要悪、社会の安全弁の街コトブキ。不法滞在者には優しく住みやすかったようだ。その間に日本女性と知り合い、やがてフィリピンで結婚。そんな逆境でも、ジャーナリストとしての夢を持ち続け、地道に力を蓄えていく。 いつしかコトブキは作者の第二の故郷、いや原点になっていく。 「寄せ場」「立ちんぼ」という言葉を聞くと、私はほろ苦い懐旧の情にかられる。 この本の副題は「into the Country of Standing Man」。立ちんぼがStanding Manかい。横浜コトブキがthe Country of Standing Manかい。思わず微苦笑してしまう。 ところで、「立ちんぼ」っていう言葉、知ってるかい? 日雇い労働者の集まる寄せ場(臨時の私設職業紹介所みたいなものじゃい)で立ちながら、手配師が建設現場の仕事を紹介してくれるのを待っているんだ。立ちんぼは、その日の仕事の口がかかるのを「じっと立ち尽くして」忍耐強く待っているのさ。だから、立ちんぼ。 仕事がなければ、それ切りさ。 二十代の約二年間、私は断続的ながら立ちんぼをやっていた。 私が通ったのは高田馬場にあったマイナーな寄せ場。新宿の盛り場、歌舞伎町からも歩いて行けた。早朝、JR高田馬場駅の南口近くの公園前に立っていると声をかけられる。マイクロバスに乗せられ首都圏各地の建設現場に出向き、日雇いの肉体労働を提供して日銭を稼いでいた。週数回、気が向いたときだけ出かけた。若かったし景気もよかったし、仕事にあぶれることはまずなかった。ゲンバの仕事が終われば、金がなくなるまで全くの自由人でいることができる。厳しい労働にストイックなまでに打ち込み、それまで経験したことのない充実感を味わったものだ。お陰で、デスクワークしかできない「頭でっかちの軟弱野郎」というコンプレックスを解消することができた。ただし、基本的には甘えがあったと言っていい。いつ止めても生活はなんとかなるという逃げ場があったからだ。日雇い仕事がずっと続くという境遇だったなら早々とつぶれていたろう。 でも、見方を変えれば、もっとも贅沢な時期を過ごしていたのかもしれない。昨今のフリーターの元祖だった。まだ明けやらぬ早朝、白い息を吐いて公園前の路上にたたずみ、手配師が声をかけてくるのを、今日はどんな仕事がまわってくるかという期待と不安ではりつめた気持ちで待つ。マイクロバスに乗り込みゲンバに向かう。穴掘り、資材搬入、高所での作業、片付けなどなど、仕事は種種雑多。危険な仕事、半端でない仕事も多かった。が、肉体はむしろ苛め抜かれることを歓んでいた。疲れて張った筋肉に残っている働いたという実感。今日も頑張ったという陶酔感。おいしい酒が飲めた。おいしい飯も食えた。仕事がら体力もつき気も荒くなっており喧嘩もよくした。酒もよく飲んだが、本もよく読んだ。映画もよく見た。肉体と精神のバランスがうまく取れていた黄金の日々。 ところで、なぜ立ちんぼだったのかって。 よくぞ聞いてくれた。その頃の自分を弁護しよう。 若い頃の私は、アナキストを気取り、あらゆる権力、権威を否定していた。絶対的な自由を夢想していた。無邪気なものさ。時代的風潮もあり、新左翼シンパでもあった。エンゲルスの著作に影響を受け、新左翼系雑誌・書籍をむさぼり読み、過激派にも憧れる。 が、軟弱なデモに参加するくらいが関の山。積極的に武装闘争に入っていく根性はなかった。慎重だった。それほどの馬鹿でもなかった。 参加していても逃走したろうな。アナキストは過激派内部の権力にも否定的なんだ。 ハイジャック、銀行強盗と闘争はいっそう先鋭化する。違うなと本能的に感じた。これは破綻すると確信した。 違う。違う。違う。 民衆の次元にまで下りろ。弱者の立場を感じ取れ。大衆の目線でものを見ろ。闘いとは地道なもの、突出することではない。そう考えるようになっていた。 成田闘争のデモにも行った。新宿騒乱で石も投げた。 しかし、こんなことで社会が変わるとは到底思えなかった。 一過性の自己満足、むなしい自慰的行為。反抗期の未熟な青二才のやること。そう客観視できるほど、冷静でしらけていた。 底辺労働をしたことがないインテリがプロレタリーアートを語るのはおかしい。激しい肉体労働もせず、共産主義をアジるのも、労働者の味方面するのもおかしい。 振り上げたこぶしをどう収めるか。青い自分とどう決別するか。夢中になったゲームから降りるには、それなりの理由が必要だった。 敗北者、落伍者、負け犬という言葉がちらついた。 それでも良いと思ったもののできれば避けたかった。 頭の中で育んでいた思想のようなものを捨て去る道を模索していた。胸の中でくすぶり噴火したがっているパッションをなだめる着地点を見出したかった。 新しい方向に踏み出すための猶予期間が欲しかった。 アジアの辺境を一人旅してみることにした。 まとまった金を稼がなければならない。 友人と一緒に飯場に入った。そこで、肉体労働に目覚めていく。 これだ! 己の闘いは、敵の末端と暴力で渡り合うことではない。肉体を酷使し自分を変えていくことだ。 社会の底辺で重労働に没頭して男になるんだ。免罪符になると思った。 今思うに、かなりの単細胞だったようだ。 でも、その頃の私には必然かつ必要な過程だった。 とにかく、私は立ちんぼからたくさんのものを学んだ。 その点はレイ・ベントゥ-ラと同じだ。レイは、コトブキからの視点で世界を見ること学び、ジャーナリストとしての基盤を築いた。定職を持ち決まった収入を得ることよりも、自由な表現者であることを優先する。安直な道を拒絶して自分の夢を追い続ける。なかなかできることではない。 私が、作者に共感以上のものを抱くのも理解できるやろ。 似たような人生の軌跡をたどっててきた。 立ちんぼとして厳しい肉体労働の体験。未熟な左翼的思想とそれからの決別。日比の国際結婚と日比混血の子供の誕生。 こう並べてみると、本当に共通点が多いだろ。 この本は私のノスタルジーを駆り立てる。私の青春をプレイバックさせる。 作者との一番大きな違い。文章を書いていないことだな。 だから、私の残された時間を日曜作家として遊んでやろうってわけさ。 私はしかつめらしい文章や議論が嫌いだ。 その点、この本は私の感性に合っている。ノンフィクションでありながらフィクションのように読める。実在の人物を追った記録、ノンフィクションでありながら、詩的・文学的な表現もそこここに見られる。訳者の功績も大なのであろうが、レイは文学的巧みな描写を駆使するしなやな表現者でもある。 この本はノンフィクションではあるが、優れた「出会いと別れの物語」にもなっている。 ディアスポラ(離散)は、現在、フィリピン人の抱える大きな問題である。 この本は出稼ぎ国家フィリピンの一側面、家族の離散・崩壊を様々な形で見せつける。 独身のふりをして日本でも家族を作る浮気性の男、フィリピーノらしいフィリピーノ。家族の写真と宗教画を心の拠り所に生きるホームレス同然の男。病をかかえ傷心帰国するの男。仕送り以外に興味を示さない薄情な女などなど。ままならぬ方向に転がり出す運命。愛する家族との別れ。新たなる家族との遭遇。家族の絆を保持することの難しさ。 「人生~、さまざま~」と歌いたくなる。時間と空間を遠く隔てて生活する男と女の哀歓をしみじみと伝えてくる。 出稼ぎのフィリピン人は、一人一人、それぞれの国でそれぞれの物語を作り上げているんだ。 世界中に離散したフィリピン人が多数存在することは出稼ぎ国家の宿命。 今ののところ、それはディメリット。 でも、私はフィリピンの現状にあまり悲観していない。 短所は長所なり。 世界中にフィリピン人がいることがメリットになる時代が来るような気がしてならない。 時代は確実に変わっていくさ。 フィリピン国内でフィリピン人が満足な仕事に就ける時代が来ることを、出稼ぎ国家から抜け出せる時代が来ることを切に願ってやまない。 ▲
by wakahiroo
| 2008-06-22 08:01
| ★フォト・エッセイ
2008年 04月 16日
日本の桜を眺めながら、今回の比国滞在を振り返ってみる。 ![]() ![]() ![]() ・・・・・・・・・・ 3月31日夜遅く、成田に到着した。 マニラは猛暑だった。4ヶ月振りの日本は予想以上に寒く感じた。 マニラでは、もう桜は終わっているのではないかと懸念していた。 幾分かの期待を持って、日曜日、四谷の聖イグナチオ教会のお昼のミサに出るため外堀沿いに歩いて行った。 お堀の両岸とも桜、桜、桜。 桜を、春の爛漫を、十分に堪能できたぜ。ラッキー! 宣長さんの歌にある。 敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花 日本に帰ったという実感を呼び起こすのは、やっぱし桜だよなあ。 ハポン(日本人)のDNAの中には、桜は春の心を揺り動かす特別な存在として刷り込まれているのかもしれないな。 マニラには、一冬、4ヶ月、滞在した。 何をしていたのだろう。 ①文庫本をたくさん読んだ。 ②フィリピンの庶民と交わり、なるべくフィリピノ語を使うようにした。 ③ジープニーが大好きになり、たくさん乗った。(カビテ方面) 大きくまとめるとこんな感じかなあ。 以前に、二冬ほどフィリピンで過ごしたが、マラテのアドリアティコのアパート、貸間だった。 今回がはじめてのパンプローナの自宅。 のんびりと、落ち着いた気持ちで過ごすことができた。自分ペースで、誰にも気を使わず生活することができた。 ![]() 夜には花見客でいっぱいになる。 ![]() 陽気に誘われて若者達が桜を撮っていた。 ・・・・・・・・・・ 本が読める。本が読める。本が読めるぞ。 自分の家は心が落ち着く。静かに本を読むには望ましい環境だ。 フィリピンのテレビは見ていてもよくわからない。つまらない。ネット環境が整わないことも良い方に転んだようだ。 今回の比国滞在では、よく本を読んだ。持っていった文庫本を全部読んでしまった。その上、以前から持ち込んでいた未読の本もかなり読むことができた。 [評価] ★★★ →すっごくおもろかった。 ★★ →おもろかった。 ★ →読んで損したかな。 (文庫本) 村山由佳「天使の梯子」★★★ 唯川恵「肩ごしの恋人」★★★ 唯川恵「キスよりもせつなく」★★ 唯川恵「あなたへの日々」★★ 唯川恵「さよならをするために」★★ 北村薫「夜の蝉」★★ 三浦しをん「私が語りはじめた彼は」★★ 宮部みゆき「ステップファーザーステップ」★★ 宮部みゆき「今夜は眠れない」★★★ 宮部みゆき「夢にも思わない」★★ 角田光代「幸福な遊戯」★ 島田洋七「佐賀のがばいばあちゃん」★★ 島田洋七「がばいばあちゃん・佐賀から広島へ」★★ 山本周五郎「青べか物語」★★★ 中河与一「天の夕顔」★ (その他) ステーヴン・キング「小説作法」★★★★★(別格。日曜作家の佐太郎のバイブルになりそう) 養老孟司「バカの壁」★ 今後の読書方向: ◎村山由佳ファンだったが、唯川恵ファンにもなった。この二人はとにかく文章がうまい。巧みな表現を味わっているだけでも楽しい。文章のリズムが私にあっているのか、スゥッと楽に読める。村山由佳は全部読んだ。唯川恵を全作、読んでみようと思う。 ◎大御所宮部みゆきは、さすがだ。どれもこれも楽しませてくれる。まだ読んでいないもの(特に時代小説)がある。楽しみだ。 ◎若い人ばかり読んでいるみたいに思われるかもしれない。少し、バランスをとって、山本周五郎も読んでいこう。この人の目線、人を描く姿勢が好きだ。といっても、ほとんど読んでいないんだけれどね。 ◎三浦しをんも面白いかもしれない。挑戦してみるか。 ![]() ・・・・・・・・・・・・・・・・ フィリピノ語習得は細く長く、命尽きるときまで 語学習得は歳をとると大変だ。覚えたはしから、忘れてしまう。若いときの5倍くらい、時間がかかる感じ。それでも、継続は力なり。すこしずつ、やり続けた。 同時に、街に出てできるだけフィリピノ語を話す機会をつくるようにした。 女房とは日本語が共通語。私がフィリピノ語を話すと面倒くさいようで少しも実践練習にならないんだ。わかるさ、女房の日本語、時々面倒くさいものな。 次男なんかもっとひどい。女房が変な言い回しをすると、 「チッ、もっと日本語、勉強しろよ」 面と向かっては言わないのだが、小声でつぶやく。女房にもそれが聞こえ、さすがにムッとしていた。 佐太郎は傍観者を決め込み、ニヤニヤするだけ。 それでも、買い物などで必要最低限のことをフィリピノ語でコミュニケーションとれるようになってきたかな。 とにかく、細く長く続けていくしかないな。 何の見返りも期待せず、死ぬ直前まで何かをやり続ける。望ましい態度じゃないか。 合言葉は「街に出てフィリピノ語を話そう!」さ。 あまり大きな声では言えないが、この合言葉、佐太郎には何かと便利な言葉なんだぜい。ハハハ。 ![]() ・・・・・・・・・・・・・ ジープニーからフィリピンを考える 今回の比国滞在でジープニー大好きジジイに変身した。 フィリピン人は会話の中で「ジープニー」を「ジープ」という。 それまでは女房に頼りきっていてジープの運行体系をつかもうとしなかった。、一人で乗る自信がなく女房と一緒のときだけ乗っていた。 今回は、最初、一人での比国滞在。否応なく一人で乗らざるをえなかった。意を決して短い距離から乗りはじめ、次第に距離を伸ばしていった。そうこうしているうちにいつのまにかジープにはまっていた。 今ではジープ以外の乗り物はめったに使わない。 特にバスは嫌いだ。冷房が効きすぎている。ステップが高く私には不向きで危険な乗り物だ。 あのでかい図体が道路を走っている姿をみるとで虫唾が走る。横暴な奴! ジープに慣れるにつれ、行動半径が大きく広がった。 ジープに乗ってカビテ州の知らない町やバリオも回るようになっていた。 ジープに乗るノウ・ハウもしっかり身に着けた。 ジープ好きが昂じて「日本ジープニー愛好会」を作っている。残念ながら、今のところ、たった一人なんだけどさ。ハハハ。 ジープの長所をあげる。 ①安い。とにかく安い。 他の乗り物に比べて安い。庶民の足だ。 私の住んでいるラスピニャスのパンプローナからバクラランまで、16ペソ。バクラランからマラテまで10ペソ。52ペソ(130円くらい)あれば、つまり、JR線の初乗り料金でパンプローナ~マラテ間を往復できる。 ②待たないで済む。 数が多いので、目的方向のものがすぐ来てくれる。 どこでも乗り降りできる。走るコースさえ把握しておけば便利だ。いや、便利過ぎるかな。 ③フィリピンの庶民の息吹に触れられる。 ジープの中では安心した落ち着いた気持ちになる。 乗客であるフィリピンの無辜の一般庶民は概して優しい。 足の悪い私に親切にしてくれる。乗り込んだときから私を気づかってくれる。入口付近の席を空けてくれる。 幸運もあろうが、今回の滞在でジープで嫌な思いを一度もしなかった。 始めは懐疑的だったが、お釣りも正確に返ってきた。 庶民の生活を身近に観察できる空間さ。 「フィリピン人は自分勝手な、バラバラでまとまりのない国民」との先入観を持っている人も多かろう。が、ジープの中では、他人への思いやり、仲間としての一帯感が支配している。お金の受け渡し、席の譲り合いなどを見ていると、フィリピン人の協調性、心優しい側面が伝わってきてうれしくなってしまう。そのと統一と調和を見ていると、マイナス・イメージの先入観など吹き飛んでしまう。 ④一般的ではないが、私のみに適用する長所 ★冷房が敵の私には、冷房がないジープは最高の乗り物なのだ! ★ジープに乗っていると、時々とんでもない若い美人が乗ってくる。ハッとするような美女が目の前に座ったときの幸せ!それもけして珍しいことではないんだぜ。 その天恵を神に感謝するんだ。←相変わらずのアホ。 こんな素晴らしい乗り物を非現代的な交通機関。交通渋滞の元凶のように非難する輩も多い。が、ジープ好きとして反論しよう。 これに取って代わることのできる庶民の足はあるのかい。 確かに、どこにでも停まるジープは車の流れを悪くする。でも、庶民の利便性を犠牲にして車の流れよくすることにどんな意味があるんだい。利するは乗用車を持っている裕福な階層じゃないか。 フィリピン社会は裕福な人達なんか、少数派さ。私なんかにはその人達のことばかり考えて社会を動かしているのがフィリピン停滞の真因のような気がするが・・・・ ジープがなくなっても、マニラの交通渋滞が解消されるとは思えない。 逆だろう。庶民の足であるジープを大切にするというか、中心に据えた交通システムを考え出すことが重要なんだよ。 発想の転換が必要なんだ。 そうさ、この辺に、行き詰まり停滞しているフィリピン社会を変えるキイがあるような気がするんだが・・・ 弱者切捨ては、社会発展にはマイナスに働くと思うぜ。 佐太郎はジープのドライバーをただただ畏敬する。 混雑の中を他の車体すれすれにハイ・テクニックで運転し、乗客を覚えながらお金を勘定してつり銭を渡し、乗客の乗り降りに注意し、私には神業のように思えてしまう。 一度に十人の話を聞く聖徳太子みたいなものさ。 すごい能力だ。「フィリピン人は、怠け者だ。能力が低い」なんて先入観を持っている貴方。 一度、ジープに乗ってドライバーを観察してみろってんだ。そんな先入観、吹っ飛ぶぜ。 ジープを運転しながら、クロスワードパズルをやっている運転手を見たときは、さすがにあきれてしまった。 これはもう聖徳太子を超えている。 ![]() ![]() ・・・・・・・・・・・ ヒネクレ者の佐太郎、桜が綺麗だと愛でているだけでは物足りない。 基次郎の「櫻の樹の下には屍体が埋まっている」という言葉が好きだ。 「美しい薔薇にはトゲがある」なんて薄っぺらな乾いた言葉に比べると、情念と意味の深みを感じさせる。 美しいものは死・腐敗の匂いを内包している。成功・繁栄は堕落・破滅の匂いと同衾している。 そういう視点でモノをとらえていくのも面白い。 見えないモノをを見ること。そして、妄想。 日曜作家の佐太郎には、必要なことなんだよな。 ![]() 教会の前の土手で懐かしい顔に再会した。 新宿ゴールデン街でお店をやっているクロちゃん。 私が20代のときからの新宿の知り合いだ。 確か最後に会ったのは彼のお店で3年前くらい。 ミサが終わってから、花見風景が見たくなり、教会の前の土手に上った。 昔、新宿仲間でこの辺りで桜満開の日曜日、毎年、集まって花見をしていた。 最後に参加してから10年以上の月日が流れている。 まさか、いるとは思わなかった。花見客の中にクロちゃんの顔を発見。 「クロちゃ~ん、クロちゃ~ん」 「・・・・・・・・」 5秒くらい、誰だかわからず、きょとんとしている。やっと、 「おう、サドか」 「生きてたぞ」 「生きてたか」 型どおり、友人達の消息を聞く。かなり酩酊していて、言ってることがかなり怪しい。しどろもどろ。女房が一緒であることを発見。若い頃の女房のことも知っている。盛んに女房のことを誉める。さすが商売人。 「マーリン、元気? あの頃は、サドと一緒じゃ、すぐフィリピンに逃げ帰ると思っていた。こんなによくやるとは思わなかったよ」 ヘン、余計なお世話よ。 「そうですか。クロちゃん、結婚してるの?」 「まだシングル。寂しいよ」 まずい、古傷に触るなよ。クロちゃん、ずっと暮らしていた可愛らしい女性と別れたんだよ。 「いいんだよ、クロちゃんは。港々に女ありタイプだから」 フォロウになっていないか。クロちゃんって、本当は純情で一途な男なんだ。よく知っている。 「サド、とにかく、飲めよ」 「飲んだら歩けなくなる」 固辞する。 「一杯だけいこうぜ」 「ゴメン。これから、赤坂に行くんだ」 酔っているわりには意外とあっさり解放してくれた。 ▲
by wakahiroo
| 2008-04-16 10:15
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