2004年 06月 26日
始めに 「宗教は麻薬だ」と固く信じていた。大学時代、友人のキリスト教者を、ナルシストの偽善者だと考えていた。その程度の認識だった。 妻が毎朝、祈りをささげているのを見ても、何をしているのか不思議だった。 そんな私が回心した。 享楽的で唯物的な私が、神を信じるなんて「冗談だろう」「お前、何か企んでるな」と、昔の私を知る友人なら反応するだろう。 倒れる前から、三浦綾子の「道ありき」や星野富弘さんの詩画集を読んで心打たれ、キリスト教に関心は持っていた。 倒れて落ち込んでいた時期には、近くの水道端図書館でカソリックもプロテスタントも関係なくキリスト教関係の本を借りては、むさぼるように読んでいた。 三浦綾子の作品には、故郷旭川の地名がたくさん出てくるので懐かしかった。図書館にあった小説・随筆のほとんどを読んだ。 「道」ありき」以外では、 「愛の鬼才ー西村久蔵の歩んだ道」、 牧師、榎本保郎の一生を描いた「ちいろば先生物語」 の2冊に特に感動した。 バイブルクラスに通うようになってから、 曽野綾子の 「心に迫るパウロの言葉」 遠藤周作の「キリストの誕生」「イエスの生涯」 を読んで、少しだけキリスト教の背景がわかってきた。 バイブルクラス 四谷のイグナチオ教会のバイブルクラスに通い始めたのは、落ち込んでいる私を見かねた妻の勧めによるものだった。神父様がよく揶揄された「困ったときの神頼み」から始まった。 神父様のお話は、私の心に響いた。クラスに通うのが待ち遠しくなった。 その頃と1年後の私の日記には、次のようにある。 2002/9/21 今日、教会に行ってきました。信仰いう言葉と無縁で不信心だった私なのですが、女房の影響もあり、四谷のイグナチオ教会のバイブルクラスに通い出しました。私の通ってるクラスはインド人の神父様で、今の私にはその一言一言から深い意味が伝わってきます。神父様のお話を聞いていると、心の安らぎが感じられ、心から祈りたくなっている素直な自分を発見します。病気が神様にひきあわせてくれたことを感謝する日が遠からず来るような気がします。「祈り」という言葉が残りの私の人生の重要な部分を占めそうな予感がします。 「神様と出会ったときが、生活が変わるとき。振り向くな。先に歩きなさい」というニュアンスのことをおっしゃっていました。 2002/11/19 マザー・テレサはおっしゃいます。 いつも喜びなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。 心の中で神を感じることが少しはできるようになりました。今は祈ることでストレスを撃退しています。 人は苦しみ、悲しみの中で神と出会うことができる。 私達の望まぬ試練が私達を強める。 私の残りの人生は、魂を高めるための人生、自分を完成させる人生ととらえるようになっています。 効率優先の競争社会、物質文明から一歩身を引いて、精神世界に身を置いて心の平安を求めるようになりました。麻痺の痛み、障害は神から賜った重荷と感じられるようになってきています。 バイブルクラスのデ・ス-ザ神父様がよくおっしゃいます。 Life is Gift. 現在程度にでも生かしていただいていることに素直に感謝できるようになっています。 Be at home with yourself. Take your time. 他人(ひと)と比較せず、ゆっくりと、「現在の自分」と仲良くして生きていくつもりです。 宗教(私の場合はキリスト教ですが)は、心の立ち直りの選択肢の一つだと思います。 2003/11/24 昨日、雨だったりして休んでいた聖イグナチオ教会のバイブル・クラスに2週間ぶりに出席しました。 今、ヨハネの福音書を読んでいます。神父様は、いつも、素晴らしい奥深い話をなさってくださいます。クラスは、40人くらいです。、神父様の日本語は、私たち日本人には、けして流暢とはいえないのですが、逆にこんなことを言いたいのではないかという想像力が必要となり考えさせられ、とても貴重な時間を過ごしています。もっとも、神父様が英語で話されたときは、5分の1も理解できない私です。 私にとっては、「困った時の神頼み」で通い始めたクラスです。仕事で出られなかった時期もありましたが、もう1年以上たちました。今までの人生を振り返り、これからの生き方を考える大切な場になっています。女性は、若い人から年配の方まで幅が広いのですが、男性は、40代、50代の働き盛り、または、働き盛りを終えようとしている人々が、多いようです。何か、日本の現代の縮図のようですね。がむしゃらに働いてきたのにどこか精神的に満たされぬものがある。マスコミは第三世界の飢餓を取り上げますが、今、最も「心の飢餓状態」にあるのは、この日本のような気もします。例えば、フィリピン人と日本人、どちらが幸せかと問われると、なんとも言えない私がいます。 救う対象は、日本人じゃないのかな。 昨日のお話は次の2点でした。、 ・死をrenewal、再生という視点でとらえること。 ・自分のこれからの生き方(どう生きるか)が神への贈り物であること。 信仰とは、人智をはるかに超えた絶対的なもの、永遠なものの存在を信じるかどうか、頭ではなく、心で受け取ることができるかどうか、ではないかというところに、現在、立ち至っています。 キリスト教と出会わなくても、この病気の苦難は、他の人と同じように乗り越えてはいただろう。 が、出会ったことで、乗り越える以上のものをいただいた。これからの人生を生きる意味を、そして、立ち向かって何かしようという意欲と勇気を。 今は、こう考えている。 脳出血で倒れて死なずにすんだのは、神様が惨めで救いがたい私に「自分を完成させるチャンス」をお与えくださったのだ。 残りの人生、心にかなった、好きなことだけをしよう。 といっても、うまいものを食べ歩いたり、ゴルフをしたりダイビングをしたりすること(もっとも、やろうとしてもできないが)ではない。 充実した老後って、そんなものじゃない気がする。それをこれから探しに行くんだ。 贖罪って、言葉が頭をよぎる。 何ができるか、ゆっくりゆっくり、考え考え、行動していこう。 かといって、しかつめらしく考えて、真面目な顔をして固苦しく行動していっても、私じゃないし、長続きもしない。 1月後半に入って、私の信仰の上で二つの大事件が起こった。 一つは、デ・スーザ神父様が神戸の教会にお移りになることになったこと、もう一つは、私が洗礼を4月11日に受けることになったことだ。 デ・スーザ神父様 ひどい鬱状態にあって毎日毎日がもつらかった時のことだ。 聖イグナチオ教会の前庭に、デ・スーザ神父様がいらっしゃったので、唐突に話しかけた。 「神父様、死にたいんですが」 今、思うと、とんでもない質問をしたものだ。 神父様は、静かにポツリとおっしゃった。 「もったいないですね」 はっきりと意味がわからなかった。それどころか、正直言うと少々反発さえ感じた。結局は当事者の気持ちなど、わかってもらえないのだと。 そのとき、私は何を期待いしたのだろう。心が晴れる慰めの言葉か。 「一時的な慰めの言葉」なんか、少しも心の問題の解決にならないことを経験的に分かっていたのに。 信仰において少し成長した今ならわかる。 神父様は、心の悩みは自分で解決するしかないことを知っておられたのだ。神様からいただいた大切な命と時間を、自ら投げ捨てるようなこと言い出した私にその意味を理解できるまでの時間をくださったのだろう。詳しく説明せずに、自分で意味が分かるまで待ってくださった。 神父様のバイブルクラスには、約1年半、出たことになる。 学んだことはとても多い。 クラスに出た後は、不思議に心が優しくなっている自分がいた。 フィリピンへ行ってから、洗礼を受けることも考えた。が、やはり信仰に強く導いてくださったデ・スーザ神父様から、洗礼を受けたかった。それで、クラスのお世話をなさってる磯部さんに受洗の決心を伝えた。 ところが、その日の講座の終わりに、神父様が神戸の六甲教会に行かれるとお話なさった。大ショックだった。 洗礼を受けたとしても、まだまだ駆け出しの、にわかクリスチャン。思い違いも多いだろう。まだまだ、多くのことを神父様から学びたかった。 残念だった。だが、すぐ思い直した。 かの地で、また神父様は、素晴らしい活動をなさり、私のような貧しい心の持ち主に信仰の道を開くのだから、何も残念がることはない。独り占めしようなんて欲張りなんだ。信仰に入る、一番大切な時期に、神父様のクラスに出ることができ、それだけでも幸せだったと感謝している。 神の子になる 長男がフィリピンで、次男がイグナチオ教会で、洗礼を受けた。立ち合ったことは立ち合ったが、実はあまり覚えていない。そういう次元だったのである。関心がないというのは、そういうことなのだろう。その私が受洗することになった。今回ばかりはわけが違う。キリスト者となって、イエスに従い、イエスと共に生きる決意をしたのだ。新しい私の誕生の儀式。一生に一度限りの儀式。心をこめて準備しようと思う。 灰の水曜日 2月25日 (灰をいただきにミサに出ます) 洗礼志願式 2月29日 受難の主日 4月4日 聖なる3日間 4月8,9,10日 洗礼式、復活の主日 4月11日 灰の水曜日からは四旬節。「洗礼の準備」と「回心と罪の償い」の期間とのことだ。断食まではしないが、家族・兄弟や人々のことを祈り、心をつくして、節制して静かに過ごすことが望まれる。洗礼に向けて、徐々に心の準備をしていこうと思う。 まずは、何冊か教会の書籍部で図書を購入し、聖書と共にじっくり読もうと計画を立てている。 (回心:自己中心から神と人々に向かう「心の転換」) 洗礼を受けるにあったって、代父が必要になる。 私には、信者の方の知り合いがいないと、磯部さんに告げると、磯部さんが快く引き受けてくださった。 磯部さんは、とても温厚で親切な方で、いつもニコニコなさっていて嫌な顔をするのを見たことがない。一般的に言うとそうなるが、ちょっと違う気がする。「堅信」が自然に人格に滲み出ているという感じである。「信仰を持つ」ということのお手本になるような方だ。いつも喜びに満たされていて、誰にでも同じ態度でにこやかに接する。警戒心を解いてしまうような方だ。そんな雰囲気に、ついつい、甘えてしまう。 洗礼を受ける気持ちに傾いたのも、磯部さんご夫妻を見ていて、ああなりたいという気持ちがどこかにあったようだ。 磯部さんに洗礼の意思を告げたとき、「おめでとう」と言われた。そうか、めでたいことなんだと、素直にうれしかった。 (代父:精神的な親、本人の信仰の成長を支える存在)
by wakahiroo
| 2004-06-26 05:43
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