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2009年 10月 13日

2009年比国日常生活の断片④ 日々の風景

◆子供のいる風景
女房の兄弟の子供達が遊びに来た。
毎日はうるさいけど、たまにはいいかな。
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◆生活断景4題
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家の修理、修繕は女房の弟に頼んでいる。一通り何でもできる。本業のあいた時間にやってもらっている。
ただではもちろんないらしいが、その辺のところ、どうなっているか、私にはよくわからない。

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週に2、3回、やってくる魚屋さん
私の子供の頃は日本でもこのような風景がみられた。

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日曜日の午前中、家の裏の教会には、大勢の善男善女が集まってくる。

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闘鶏を趣味にしている人も多い。向かいの家の旦那もその一人。
打ち込み方が半端じゃない。


◆公園の風景
家から200メートルほどのところに、そんなに広くはないが、公園がある。遊歩道があり、散歩のときは、必ず何度か、回ってくる。
真中にテニスコートとバレーボールコートがあるが、使われているのを見たことがない。
もっと需要を見込んで整備しろよな。
もっとガーデンとして充実させるとか、できると思うんだけど・・・
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風の強い日の後はマンゴが落ちているので、よく拾ってくる。

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バスケットボールコートもあるが、ここはいつも誰かがやっている。
スポーツの人気が偏っている。
陽のあたる屋外のスポーツは厭だってこともあるか・・・・

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朝の7時頃だぜ。
涼しいうちに試合をするみたいだ。

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暑い昼下がりは、のんびりと親子や子供達が練習していたりする。


◆ちょっと考えてしまう光景
激しい雨が降り続くと、我が家の家の前の道路に水がたまり、子供達の歓声が聞こえる。
始めは何事かと思った。
膝上の深さほどの臨時プールが出現ってえわけだ。
女房に言わせると、塀を隔てて隣接するスコーター(川辺などの政府の土地に無許可で勝手に住み着いている人々)の子供達なのだそうだ。女房の言うことの真偽のほどはわからない。
教会の横にルートがあるみたいで、子供や大人が乗り越えて入ってくるのも何度も目撃はしている。
とにかく、衛生的でないことは確か。日本人の常識では眉をしかめたくなる。でも、思っているほど、汚くもないのかも。子供の時、私も汚い川で泳いでいたものな。
子供達はたくましい。普段はプールなどに、行ったことがないのな。楽しんでいる。
見方によっては、明るい未来を感じるな。

このように排水が追い付かず、大きな水溜りができることを「バハ」と言うらしい。我が家は少し高いところにあるので被害はない。だから、他人事のとして客観視できる。
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 ◆佐太郎の邪道短歌◆
黄に叫び 泥色の水 かき分けて 無邪気に跳ねる 子供ら眩し
我が過去の 汚泥を流す 願いこめ 表現者として デジカメをとる
技法より 己の気合い 指にこめ 人の心の 電子化挑む 
ドロドロと 欲の張りつく 愛を捨て 優しき情愛 娘らに向け
残されし 時間の違い 感じつつ 子らに交じわり 無心に遊ぶ


by wakahiroo | 2009-10-13 02:06 | ○フィリピン点描
2009年 10月 08日

2009年比国日常生活の断片③ 夫婦、仲良く!

もう、結婚、27年になるのかな。
縁は異なもの味なもの。
フィリピーナと結婚するとは思わなかった。
長い間、つきあっていた女性と別れて、心にかなりの傷を負っていてはいたが、バック・パッカーとしてフィリピンを貧乏旅行していたんだ。
出会った当初、燃え上がったのはもちろんだ。が、27年は長い。平坦な道ではなかった。
総括すれば、何度かの決定的危機をなんとか乗り越えて、ここまで、よく来たなあっていうところか。来るべくして来ちゃったって思いも、少しはあるけど・・・

子供二人、孫二人。圧倒的な存在の重み。
もう、おとなしく、我慢するしかないよな。
というか、我慢とか、忍耐とかいう自己中心的な思いを突き抜けた「心の平安の境地」に到達したみたいだ。今さら、心にさざ波をたてることもないべさ。嫉妬もイサカイも、もうゴメンよ。
心の持ちようが、男と女のそれから友達のそれのようになってきたかなあ。
愛情のありようが、エロスからフィリアとかアガペーに変移してきたというか・・・
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なんだかんだ言って、結構、相性は良いんだ。
会った当時から物の考え方、行動の仕方が不思議に似ていた。だから、魅かれたのかもしれない。
「似た者夫婦」とはよく言ったもの。
長く一緒にいると、知らず知らずのうちにお互い影響を及ぼし合って、よりいっそう似ちゃったというところが真実かな。

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佐太郎64歳、女房〇〇歳の誕生パーティー
年齢、隠すこともないか。14を引けばいいんだよ。
無理して仲良く振舞っているわけでもない。
二人とも3月生まれ、誕生祝いも同じ日にやってしまうことが多い。

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二人ともプライドが変に高くて、頑固者。というより、意固地者。
いったん、こじれると大変だ。自分の方から謝ろうとしない。
1年近く、別居していたこともあるんだぜ。下の子が高校生になってからだけどね。
別れていても不思議じゃなかった。
でも、ギリのところで持ちこたえた。
苦楽を長年、共にした夫婦の絆っていうやつか。じゃないな。腐れ縁って、ところだな。ハハハ。愛情って、自分が一番でなくなること。嬉しく楽しく、自分を捨てられることのできる魔法。
なあんて、よく言うよな。
静かに醒めた感じで、相手のことを客観的に眺められるようになっている。


◆トウチャンの日々
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酒が飲める、酒が飲める、酒が飲めるぞ!
昔は、人事不肖にになるまで飲んだ酒も、最近はなめる程度。

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ときどき、近くのサリサリで「ハロハロ」を食べる。確か20ペソ(約40円)くらいだった。
アルコールより甘いものに嗜好が変化。情けないよ。歳をとったと感じるよ。
でも、フィリピンのアイスクリームは甘すぎるので、まず買わない。

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パンプローナのライブハウスにて。2か月に1度くらい行くかな。


◆カアチャンの日々
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インターネットに興ずるカアチャン。
ユーチューブを視ているかかメールを打っていることが多い。

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ライブハウスでのカアチャン

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フィリピン料理のレストラン「バーハイ・クボ」にて
ラスピニャスのシティ・ホールの隣りにある。

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食事の後かたずけ。


◆トウチャンと子供たち
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女房の弟の子供達と
小学3年生の女の子、ウィルマは頭がよくしっかり者。
来年小学校入学の男の子、マウイは甘えん坊。

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小学校5年生のウィリアムの成績はいつも低空飛行、バスケットボールばかりしている。
生意気になって、一緒に住んでいるパパの姉妹達の言うことをきかなくなっているそうだ。


◆カアチャンと弟
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女房の弟がホンダのバイクを月賦で買った。
女房が保証人になってやったようだ。
建設会社の現場監督をしている。月々の払いがきついとボヤいていた。
それを承知で買ったんだから仕方ないよな。

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仲良く、昔の友達のところに出かけていた。
ヘルメットなし。サンダル履き。それでもいいのさ。

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普段は3人の子を乗せて走っている。、
前に下の男の子、後ろに他の二人。
まさしく、正しいフィリピン流のバイクの乗り方を実践している。

 ◆佐太郎の邪道短歌◆
老境に 微妙なるかな 妻の距離 悟り半分 残りあきらめ
ヤキモチの 裏地のついた 愛情を 持て余しつつ 黄昏迎える
新しき デジタルカメラ 手に取りて 旅への意欲 ふつとみなぎる


by wakahiroo | 2009-10-08 23:36 | ○フィリピン点描
2009年 09月 09日

2009年比国日常生活の断片② 食べ物

1年の約半分を東京で、約半分をマニラで暮らしている。
マニラでは、どんな食生活をしているか、伝えていこうと思う。
基本的に、肉が多く、脂っこいフィリピン料理はあんまり好きではない。
もちろん、好きなものもあるけどね。

◆朝飯
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朝食は、7時頃、女房とバルコニーで食べる。
パン食だ。
ブレッド & コーヒー、with 生野菜、果物。
だいたいこんな感じかな。
大好物のマンガは、まず欠かさない。マンガって、フィリピノ語でマンゴのこと。
オイラ、朝から漫画なんて、読む趣味ないよ。
漫画を馬鹿にしちゃあ、いけねえって。奥が深いんだってさ。
だども、オイラはパス!

昔に比べると、フィリピンのパンが格段においしくなった。実感している。

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果物は時々、マンゴ以外のものも食べる。
これはスター・アップル(カヨミート)。

ピニャ(パイナップル)は日本で食べるものより確実においしいかな。


◆夕ご飯
昼食は、お散歩途中、カリンデリア(大衆食堂)で食べることが多い。
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家で食べる昼食・夕食は日本食。
肉嫌いの魚好き。魚さえあれば、文句は何も言いわない。
30年くらい、日本で暮らしているカアチャン。味付けはバッチリよ。
夕食の定番は、焼き魚か、お刺身。それと野菜の炒め物か和えもの。
日本にいるときと、ほとんど変わらない食生活だ。
でも、食材の値段はかなり安いみたいよ。ものにもよるけどさ。
調味料は高いから、日本から持っていく。

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焼き魚と、マロンガイのスマシ汁と、バナバ茶。
健康的やろ。

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ランカ(ジャックフルーツ)のココナッツ煮込みかな。
大好きだ。

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サロヨット(モロヘイヤ)のおひたし。
醤油とカツオブシをかけて食べる。
健康にいいんだぜ。日本でもブームだろ。

ネバネバ感が癖になる。

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バナナの花の部分の料理。
ココナッツ味だったかな。醤油味だったかな。忘れた。


◆アルコール
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コーラとブランデー
コカコーラは高いから飲まない。フィリピン銘柄のPOPコーラかRCコーラ。1本、写真のサイズで13ペソ(やく26円)。コカコーラはその倍はする。私には、味もあんまり変わらない。

ブランデーといってもフィリピン産。コーンから作られるんだそうだ。
この銘柄は、ちょうど、スーパーでプロモ中で、始めて買った。40ペソ(約80円)だった。
普段は、68ペソの「エンペぺラドール」という銘柄を隣りのサリサリで買う。
アルコールに弱くなった今は、1本買えば、1カ月はもつ。
150円以下だでえ。経済的やろ。

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お隣からいただいたココナッツ・ワイン
早い話が、飲みやすくした高級なツゥバ(やし酒)
強いから、本の少ししか飲めない。

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グリーンマンゴ
上の4個は公園で拾ってきたもの。下の2個はお隣からいただいたもの。
両者に各段の味の差があった。ハハハ。
すっぱくて、酒のつまみにちょうどいい。フィリピン人はバゴン(アミの塩辛)と食べる人が多いが、私は醤油を少し垂らして食べるのが好き。


◆食べられる我が家の植物
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ランカ(ジャックフルーツ)
この大きさでは果物としては食べられない。野菜として食べる。

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マロンガイ
若い葉の部分を食べる。
木が大きくなれば、鞘や豆ができるのだが、我が家ではまだできていないので、私は食べたことがない。2軒隣の庭にたくさん成っているのがみえる。
葉は糖尿病や血圧低下に薬効があるらしい。

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バナバの木
家の門のすぐ前にある。まだ小さい。すぐ大きくなるさ。

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レモングラス

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バナナ


 ◆佐太郎の邪道短歌◆
起きて食べ 歩いて食べて 寝ては食べ 飯を挟んで 一日回る
食欲と 知識欲さえ 満ち足らば 老いの時間は 静かに過ぎる
酒みりん 醤油は大和の 覚醒剤  沈むことなく 元気旺盛
門前の バナバを摘んで 煎じ飲む 血圧制御 自然の力


by wakahiroo | 2009-09-09 05:46 | ○フィリピン点描
2009年 09月 05日

2009年比国日常生活の断片① バルコニーにて

東京では、30年以上、都心のマンションの一階に住んでいる。
その反動で、青い空に憧れる気持ちは人一倍強い。
ここでは、青空の下で食事をすることができる。
ここで暮らしてみてわかった至上の歓び、思いがけないプレゼントであった。

   

◆空の見える風景
空の青と植物の緑。心が癒される。
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◆暮らしの見える風景
眼を下方に転じると、フィリピンの人々の生活を覗くことができる。
文字通り、覗くんだ。彼らはほとんど気づいていないから。
ピーピング・サタロウと呼んでくれ。なかなかの快感だぜ。
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家の前の道路は、わりと人通りがある。見ていてあきない。
特に、裏の教会のある時間は、メイン・ストリートになって身なりを整えた人達がいっぱい通る。

道路はきれいだろ。塵一つ、落ちていない。
毎朝、各家の前を清掃するのがルールなんだ。近所の眼は厳しいからね。

フィリピン人って、綺麗好きなんだぜ。
潔癖症というか、病的に思えるときもある。
非科学的だと思うことも多いんだけどね。

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フィリピンの落葉は日本と様相が違う。
日本では、冬の前、ほとんどすべての木が落葉するが、フィリピンでは木の種類によって落葉する時期が違うようだ。写真の木も1週間くらいで葉の色が変わって、葉が全部落ちてしまった。
この時期のお掃除はやりがいがあるみたいだったぜ。ノゾキミストとしてのオイラの感想。

その後、もっと驚いた。2,3週で新しい緑の葉を付けてしまったのだ。
自然でこれくらい違うんだもんね。
そこに住む人々の物の考え方や感じ方が違うのはあったり前なんだよね。
そこんとこ、押さえておかないと、いろいろとトラブルをかかえることになる。

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よく知っているご近所のメイドさん。何やら情報交換している。二人のすぐ横の建物は、この前帰る前、サリサリストアに改築された。暮らしウォッチングには、プラスの要素さ。


 ◆バルコニーの時間
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我が家のバルコニー、結構、広いんだぜ。
昼は、寝ているとき以外、ここで過ごすことが多い。

陽を浴びながら、上半身、裸にになって手すりをカウンターにして缶ビールを飲むのも愉しみ。
一人で、ストレッチやカンフーの真似をしたりしている。
BGMは、モダンジャズか演歌。
もちろん、クラシックはCD一枚も持っていない。

女房はロック系のポップ・ミュージック。
切るように言わないとの部屋で四六時中かけている。オイラにはウルサイだけ。

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ピンクの花はブーゲンビリア。黄色はハイビスカス。

フィリピンに行ってすぐ、だいたい、頭をおろす。
床屋は、チップを入れても、200円以下。
次回、行ったときは、もっと花の種類、増やすからな。

死を口にすると、カアチャン、「そんなこと言わないで」と嫌な顔して怒る。
未来に夢のあることを話すと、カアチャン、にっこりする。

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花は近くのスター・モールの花屋かバクラランの花屋街で女房と一緒に購入する。
一人で買うと運ぶのに苦労する。その上、頑張って持って帰っても駄目出しされることが多い。
最近、悟ったんだ。
「老いてはカアチャンに従え」って。
ちょっと違うってか。似たようなもんだろ。

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朝の早い時期は、ここで読書したりインターネットしたりしている。10時を過ぎると、相当にきつくなる。半端でなく暑くなるんだ。我慢して頑張るけどね。それが快感になってくる。
佐太郎、サドじゃなく、マゾじゃないかって。ハハハ。

若いときは、「死」はだだただ怖かった。今はそれほど怖くなくなっている。
歳をとると、己の中に死を受け入れる準備ができてくるんだな。生き物というのは、うまくできている。
運命とか、神の存在とか、信じるようになっている。

「人間に対する最大の刑罰は永遠の命を持たされること」というフレーズ。
頭ではなく、心でわかるようになった。死は苦しみからの解放でもあるんだ。
昔は抵抗があった「永遠の眠り」という言葉もためらいなく使える。

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女房は朝食以外の時間はほとんどバルコニーには出てこない。理由は、暑いし、陽にやけるのが嫌だから。
フィリピンの女性って、日本人の女性よりはるかに暑さと日光を嫌うぜ。というより、憎しみを抱いているかのように思うときもある。
もっぱら、1階で、大音量でテレビを見ている。
まさしく、フィリピン人だ。
私なんかと、騒音の基準が違うんだ。
静かだと怖いのかもしれない。静寂恐怖症だね。
佐太郎、高所恐怖症じゃけん。非難できないよな。ハハハ。
理屈じゃないんだから。

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週に1度くらいのペースで、女房の弟の子供達が遊びにくる。

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トランプする女房と子供達。
心に思っていることを正直に告白しよう。
「ひょっとすると、知能のレベル、同じくらいかもしれないな」
カアチャン、ゴメン! 
これ、ブラック・ユーモアだから。


 ◆佐太郎の邪道短歌◆
朝食を 青い空見て 食べる日は 強く明るく 生きられそうな
来年は もっと鉢植え 増やすぞと 意気込む我に 女房微笑む
若き時 死と恐怖とは 同義なり 老いて理解す 死は裏切らぬ友   
長命は 夭折と似て 不幸かも 時機満ちくれば 死すを厭わず
それぞれに こだわり持ちて 生きている こだわり貫いて 死ねれば本望


by wakahiroo | 2009-09-05 05:35 | ○フィリピン点描
2009年 06月 08日

バクラランの花屋通り(花とジープニー)

女房と私は、バクラランの教会のミサに出たときには花屋ストリートをよくぶらつく。
衣類や日用品などの雑貨の屋台でゴチャゴチャ混み合っているバクラランでは、珍しく心が安らぐ場所なんだ。

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通りには100メートルくらいの間、小さい露店の花屋が左右に連なっている。
正式名称は知らない。でも、女房と話すときは、「フラワーショップ・ストリート」とか「花屋通り」とか言っている。

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まずは、花屋さんをいくつかアップしていこう。通りを歩いている気分になっってくれたら、うれしいなあ。
実際、ぶらついていると、1時間くらいすぐたってしまう。
ここで売られているのは、オーキッドが多いかな。

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私の住んでいるラス・ピニャスのパンプローナからバクラランまでは、いつもジープニーに乗っていく。ジープニーの道順もも3通りほどある。
一番早いのは、アラバン・サポーテ・ストリートをサポーテまで行き、そこからコスタル・ロードに乗るルートである。、20分くらいで着く。料金はルートによって違う。このルートは18ペソ(約36円)。安いやろ。日本に帰ると、電車料金が高く感じてしまう。

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ジープニーに乗ると庶民の生活を垣間見ることができる。私は、親切にされた良い思いをしたことはあるが、危険な思いをしたことがない。
乗客の少ない深夜は危険かもしれないが、乗ったことないので、わからない。
佐太郎、夜中、出歩くなんて、お行儀の悪いこと、しないもん。良い子ちゃんやから。
あれえ、閻魔様に舌、抜かれるかな。

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一度、コスタル・ロードの上で車輪がパンクしたことがあった。
半時間ほど待たされたが、道路わきに寄せて、運転手が手慣れた感じで予備のタイヤと交換してしまった。本当にジープニーの運転手は、なんでもできるんだ。ますます尊敬してしまった。もっと、驚いたのが、乗客が数人降りて、運転手を手伝っていたことだ。早く帰りたいという思いもあるのだろうが、庶民の助け合いの精神みたいなものを感じたね。そう、ジープニーは庶民の乗り物なんだよな。

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佐太郎、ジープニー愛好者連盟日本支部を勝手に作っている。
すぐ来る。安い。目の前に、綺麗な若い女の子が乗ってくる。隣りに座れば、ギュウギュウにつめこまれるので、身体の温みが感じられ、心地良い。
利便性、経済性、眼の保養、肌の触れ合いを考えると、ジープニーは、マニラでは最高の乗り物なんすよ。
フィリピン文化、フィリピン大衆に触れ合いたい人は、タクシーやバスなんかに乗ってはいけないのだ。

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佐太郎、意外と花が好きなんだ。
佐太郎と花なんて、結びつかないって。
美女に野獣だって。いんや、猫に小判だって。おまえ、言い過ぎやろ。
でも、そうなんだ。私自身、最近まで花が好きだと気付いていなかったんだ。
ミスマッチだって、素直に認めるぜ。
生きている花、綺麗な女性を眺めるのは人一倍好きだと自覚してはいたけどねえ。
えっ、植物の花だって生きているって。
ごめん、「生きている花」のところ、「息をして、毒をはいて、トゲのある花」に訂正しておいて。
その花、思い通りにならないところ特にがいいんだよなあ。時々、いじめられるし・・・
サド侯爵って、本当はマゾだったんだってさ。テレビでやっていた。
注釈。佐太郎の本名、佐渡って言うんさ。

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値引き交渉をしている女房。
この日は、蘭を二鉢購入。
私も真似して値引きしてみるんだが、ほとんど、うまくいかない。何が違うんだ?


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バクラランの衣類、雑貨を売る屋台街。
ここは教会の横。大通りに面していて、一番、すっきりとしたところかな。
奥の方は、混雑していて、デコボコしていて、ゴチャゴチャしていて、の悪い私には、難儀な場所なんだ。スリも多いんだってさ。できることなら、行きたくない場所。二のを踏むところさ。

もう一度、言っておこう。
佐太郎は、花とジープニーが大好きなんさ。
文句、あっか?

by wakahiroo | 2009-06-08 05:56 | ○フィリピン点描
2006年 03月 04日

船戸与一「虹の谷の五月」を読む。

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先日、文京区の水道端図書館から久し振りに一冊のフィクションを借りた。
舞台がフィリピン・セブ島の農村と聞いていたので、長い間読みたいと思っていた本である。
2000年の直木賞受賞作。
その頃、株のネット取引に入れ込んでいて、ほとんど本を読まなかった。そして、2002年春、脳卒中で倒れ、読書どころではなくなり、そのまま読まずじまいになっていた。

最近、活字が読むのが相当につらい。1時間も読み続けると、目がかすんでくる。それで、1週間くらいかけてじっくり読むつもりでいた。
それなのに、読み始めるとやめられなくなり、2日間で読み切ってしまった。

面白い。文句なく面白い。
船戸の作品は、以前、イランのクルド族独立運動を扱った「砂のクロニクル」を面白く読んでいた。ある程度は期待はしていた。が、予想以上だった。
私が薦める5冊の本というアンケートがあれば、是非入れたいものだ。

船戸は卓越したストーリーテーラーだ。
アクション、純愛、暴力、ギャンブル、セックス、背徳と倒錯・・・
殺人を楽しむ異常性格、男色、父子相姦。この辺になると、ちょっと、サービスし過ぎかもだね。
人間の持つ理性と狂気を次から次へと描きだしてくる。
なんという引き出しの多さ。
満腹するのにそんなに時間がかからない。が、次の場面では、涙ぐんでしまう。
なんという転換の速さ。
フィリピンに興味を持っていない者にとっても、最高のエンターテイメントだ。
ジジイになって涙腺が少し弱っているとはいえ、三度も泣いてしまった。

船戸の物語はハードボイルドな冒険小説というのが一般的認識だ。
が、私はこの本を極上のラブストーリーと位置づける。
4つのラブストーリーが交錯して複雑な構成になっている。
悲劇で終わる恋あり、瑞々しい青い恋あり、憎しみと愛は表裏一体と感じさせる恋あり、偲ぶ恋ありだ。
後半部分の謎解きは、想定外。あっそう来たかという感じであった。
ネタ晴らしはしないが、キーワードは血の繋がり。

船戸の文章は、こなれていて読みやすい。リズムとハーモニーが感じられる。職人芸だねえ。
セブの農村部の美しい自然描写、バランガイに生きている人々の人物描写、喧騒と昂揚の闘鶏場の臨場感に満ちた描写などなど・・・
ポルノ小説まがいのセックスシーンの描写にしても、抵抗なく入ってくる。嫌らしさを感じさせない。むしろ美しい。筆力があるからなんだろうな。圧巻はラストシーンかな。

ラブストーリーと冒険活劇をを楽しめるだけじゃない。
この本は、優れたフィリピン農村ガイドブックでもある。
フィリピンの行政単位、バランガイとはどういうものか、そしてそこに住む農民はどのような生活をしているか、知識としてではなく感覚として伝わってくる。
さらにその上、分かり易い闘鶏入門書なのである。
この本を読むだけで闘鶏、軍鶏についての基礎知識が身に付く。
残酷だし、ギャンブルに興味がないって。
まあ、そう言わず、読んでごらんよ。
競輪、競馬よりも、このギャンブル、高尚で、哲学的で、かつ、人間的だぜい。

船戸は、誇張はあるものの、フィリピン社会の負の部分を容赦なく明るみに出していく。
賄賂の横行する腐敗したバランガイ選挙、強い者への媚、へつらい。弱い者へのいじめ、村八分。
社会の底辺で生きる、貧しい人間達の愚劣さ、醜悪さ、卑屈さ、そのどうしようもない生き様を鋭い筆致でえぐり出す。
と同時に世俗的権威を痛快にこき下ろし否定する。
収賄と無法の警察組織、愛と弱者救済を忘れた教会組織・・・
だが、弱者に向けた作者の視線は、基本的には優しく暖かい。
短所の裏には長所があることを作者は重々承知している。

船戸の作品は、現実に打ちのめされ傷ついた人間に勇気と癒しを与えてくれる。
若い頃の情熱と理想、ずっと持ち続けることは難しい。
人はやがてそれを忘れ、裏切り、ボロボロになっていく。
人間が丸くなった、世間がわかってきたなんて言われてね。
ホセ・マンガハスは人里離れた「虹の谷」を根拠地に、孤高のNPAとして、たった一人で戦い続ける。
それできるのは、誇り(ダカン)と希望(アサム)を失っていないから。
虹の谷はもちろんフィクションの中の架空の場所である。
でも、作者は意図していないかもしれないが、私はこう考えてしまう。
「虹の谷」はその気になりさえすれば、誰もが心の中に保持することのできるの夢と理想の保管庫。
多忙と数々の欲望の誘惑に溺れそうなとき、逃げ込むシェルター。
多くの人は、人によって違うが、若い頃の夢、理想を捨てがたい。いつかは実現したいと願がっている。
「虹の谷」はその大切な何かをこわさずに守る心の核というか、思い出したときに出撃できる心の奥深くに存在する根拠地みたいなもの。

誰もが心の中に「虹の谷」を構築し、誇りと希望を失ってさえいなけれれば、戦い続けることができるのさ。
ホセ・マンガハスのように。

船戸ワールドは、無常観と滅びの美学に裏打ちされている。
若い頃は、ハッピーエンドでなければ、心が落ち着かなかった。
でも、幸福なんて実体のないもので、しっかり手元におこうとすればするほど、するりと逃げてしまう虚像に近いものなんだと知ってしまった今は、逆にハッピーなエンディングは、嘘っぽくしらけてしまう。なんだか忘れ物をしたような・・・

船戸の物語のエピローグは、巨悪に抵抗し勝てなくても屈服しない主人公の感動的な死を描いていることが多い。
悲劇的な報われぬ死で終わる。
山田風太郎によれば、
 人生は無意味である。
 その無意味な人生をなんとか生き続けていくのが、人間のプライドなのだ。
 人生でただ一つ、意味があるものあるとしたら、それは死である。
のだそうだ。
最近になって、この意味がわかり始めた。
死というものがあって始めて生というものが存在するんだ。
船戸は感動的な死でストーリーを閉じることによって、輝かしい生のあったことを際立たせているのかな。
キリスト教では、意味のない人生はないと教える。どんな人の人生も神の賜物。それぞれが比類ないマスターーピース。
だが、待てよ。
無意味ととらえるも、意味があるととらえるも、同じことを言っているんだ。
人の命の重さは皆同じである。冷酷な殺人者のそれも清貧の聖者のそれも変わりない。

「虹の谷の五月」は、船戸の作品としては珍しく、未来を感じさせる明るい終わり方をしている。
トシオとメグとジミーは、まだ生き残っている。新しい展開を期待させる。

不正に立ち向かうDNAを有するトシオ青年を待ち受けるものは?
クイーンの養女として横浜で生きるメグはどう生きるのか?
貧しき人のための裸足の医者を目指すジミーは願いを成就できるのか?

作者は続編を用意しているような気がする。
日比両国を舞台にした、さらなる活劇とラブストーリー。
願わくば、私が生きているうちに書いてくれよ。船戸さん。
楽しみにしているけん。

今度、女房とセブを訪れようと思っている。
生きているうちに。

by wakahiroo | 2006-03-04 11:46 | ○フィリピン点描
2005年 02月 26日

The Garden House

女房とロハス・ブルバードを散歩していて、とても素敵なお店を見つけた。
    Pilipino Speciality Restaurant
      「The Garden House」

インテリアの素晴らしいお洒落なお店だ。
夫婦二人で静かな時間を過ごすには、最高に適している。
まずコーヒーがとてもおいしい。
出てくるフィリピン料理も味付けを抑えた上品な味だ。

この日は、まず、コーヒーをゆっくり楽しむ。フィリピン産のダバオコーヒー。マイルドな味で、おいしいんだぜ、本当に。
 アドボン・プシット(いかのアドボ)、生ルンピア(春巻き)とライスで軽く夕食をとり、二人で、サンミゲールビール・ライトを3本、飲んだ。
ごめんなさい。料理を撮るのを忘れていた。目がインテリアの方へ行っていたんだよね。

値段の方は、全部で1000ペソ(2000円)かからなかった。

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入り口も地味でめだたない。でも、センスの良さがわかるよね。
派手なネオンなどないところがいいだろう。
開店時間が朝9時から夜9時まで。
その必要もないか。

中に入って驚いた。
落ち着いた雰囲気。インテリアが素晴らしいんだ。
こんなの文章で説明するするより、写真を見てくれよ。


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我が愛するカアチャンです。
この日は、バレンタインデイのデートでした。

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左半分、パラライズのジジイです。この3月で還暦です。
よたよた歩き、頑張るでよ。


このお店のオーナー、スペイン系のフィリピン人の感じの良い、おばさんなんだ。
なんと、同じビレッジ(ガッチャリアン)の住人だった。
糖尿病のリハビリで、毎朝、散歩していること。
子供が6人いること(やっぱり、フィリピン人なんだなあ)など、女房としばらく話こんでをいた。
タガログ語がわからないので、後で、女房に聞いたんだけど・・・

by wakahiroo | 2005-02-26 18:38 | ○フィリピン点描
2005年 02月 14日

街で見かけるタガログ語

タガログ語を少しでも話せるようになりたい。
これから、フィリピンに住み、生活していく上では、その土地の言葉を話せないではすまされない。と、最近、切実に感じる。

脳出血で脳が一部壊れたうえ、歳を取って記憶力が低下した頭には、かなり厳しいものがある。
集中力がなくなり、10分も活字とにらめっこするともう疲れてしまう。
発症以前は、集中力と記憶力には結構、自信があったんだけど、運命だよな。
な~に、誰でも、遅かれ早かれ、私と同じ状態になるんだと、慰めてはいるんだけど、神様、ちょっと早すぎるよう!

去年、NHKのテレビで、80歳になってから韓国語を習得し、90歳になって中国語に挑戦しているスーパー老人がいることを知り、おおいに勇気付けられた。
頭は使っていないと退化するそうだ。

これは、やるっきゃ、ないよなあ。
できる範囲で最大限、努力するさ。

てなわけで、まずは、フィリピンの街並みを歩いていて、頻繁に目にする二つのセンテンスを紹介しよう。カンの良い皆さんなら、タガログ語の知識がまったくなくても、意味はわかるでしょう。
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鶏とタイヤとやし(?)の木。フィリピン的な取り合わせだ。

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生活用水が入っている貯水タンク。飲料用の水は別。

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Bawal umihi dito.
Bawal  禁止する   umihi おしっこする   dito ここで
日本では、見かけなくなったなあ。鳥居があって「小便無用」っていう表示。

フィリピンの通りを歩いていると、人通りの少ないところで、暑さのせいもあるのか、鼻が曲がるような強烈なアンモニア臭を感じることがある。この野郎、だれか、やりやがったな。

日本の都会では、夜更け、ビールを飲みすぎて我慢できず、植え込みに目立たぬようにすることがあるが、日中はさすがに立小便をする勇気はない。しなくても、公衆便所等の施設がなんとか許容限度内に見つかる。でも、フィリピンではそうは行かない。
子供が多いが、時々、草むらなどで、立ち小便をする姿を見かける。仕方ないよな。
日本人の私の友人も、ビールを飲みすぎて、道端で平気でしていた。そんなこと、皆、気にしない。
郷に入れば郷に従えか。今のところ、私は、運良くまだしたことがない。その辺の節度はまだなんとか守っている。そのうち、抵抗感がなくなったりして。ハハハ。
でも、子供のころよくやったけど、立小便って、最高に気持ちがいいんだぜ。特に自然の中で用をたす、あの開放感、捨てがたいよな。冬は純白の積雪の中の黄色い軌跡を楽しんだ(北国の男性ならわかるよね)。
Nature calls me か。
文明のがんじがらめのすべての規制をかなぐり捨てて、ときには、類人猿の頃を思い出し、本能のおもむくまま、行動してみたいよな。
「立小便を自由にできる環境を戻せ!」なんて運動でもしようかな。ちょっと無理あるか。ハハハ。でも、気持ちだけはわかってよ。理解できないって。残念!

Bawal mag-tapon ng basura dito.
bawalとditoは学習済み   mag-tapon 捨てる  basura ゴミ
ng basura で「ゴミを」という目的語になるのかな。
Bawal mag-tapon ang basura の場合。「ang basura 」は主格になる。
タガログ語のビギナーにつき、説明は間違っているかも。
とにかく、両方とも、「ここにゴミを捨てるな」という日本でもおなじみのやつだよな。

捨ててあるのは、本当に正真正銘のゴミだ。
日本で捨ててあるような電化製品なんて、絶対にゴミにならない。

こんなことを書くとまた女房がしかめっ面しそうだけど、ええい、書いちゃえ。

今、東京の家には、女房の姪っ子が来ていて、日本語学校に通っている。
授業料は自分で作る約束で、この半年、午前中バイト、午後学校、夜またバイトの3本立ての生活を続けている。この前、来期の授業料ができたとうれしそうに電話してきた。
その姪っ子、相当にケチなのである。というより、ケチにせざるをえないのである。
新宿中のバーゲンを駆け回って、1枚100円のブラウスなどしか買わない。
その姪っ子が見つけた物資の調達先が我がマンションのゴミ置き場なのだ。
まず、立派に使い物になるCDレコーダーを手に入れて、悦に入っていた。次に、サイズがあわなかったのか、正札のついた新品のジーンズを拾ってきて、「なんでこんなの捨てるの?」と不思議がっていた。サイズも彼女にぴったり。喜んだのはもちろんである。
一応ゴミあさりだけは止めるように言っておいたけれど、宝の山、そう簡単にあきらめるとは思えない。今、次男と二人で住んでいるけど、あさり続けているのかな?

by wakahiroo | 2005-02-14 15:29 | ○フィリピン点描
2005年 01月 25日

フィリピンの子供たち(bata ng Pilipinas) その1

世界中、どこへ行っても、子供たちはかわいい
屈託ないフィリピンの子供たちを見ているとこちらも幸せな気持ちになってくる。
天使の微笑み。神からの贈り物。
管理された世界の日常の些事に疲れた大人の心を癒す力を持っている。
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後ろに変なおじさんもいるでよ。

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女房の弟達の子供を通じて、近所の子供達とも仲良くなった。
通りがかりに手を振ると、皆、にっこり笑って「サドォ~、サドォ~」と言って手を振ってくれる。なお、サドは私の本名なんだ。日本のの子供達なら、間違いなく、無視してシカとする。

少子高齢化で、子供の姿がめっきり少なくなった日本からフィリピン来ると、なんだかホッとする。
通りにどこからともなく子供たちが湧いてくる。夕方、遅くまで遊んでいる。
習い事も塾もないんだよな。
私の子供時代の風景とよく似ている。
日本の子供が管理される前の風景さ。

我が家は、どちらかというと教育熱心の家庭だったけれども、私は幼稚園へ行っていない。
小学校時代、家で勉強した記憶もほとんど無い。
夕食後、お袋に漢字の書き取りの宿題をやるように言われて、泣きながら、汚い字で書きなぐって、抵抗したことを覚えている。今の子に比べると幸せだよなあ。
小学校から帰ると、夕方遅くまで、近所の洟を垂らした餓鬼共が集まって時間がたつのも忘れて遊びまわっていた。
チャンバラ、缶けり、ギョライスイテイなどなど、際限なく遊びは続く。
暗くなっても帰らないので、お袋が呼びきて、よく怒られた。
鼻汁をふくので、皆、服の袖がコテコテになって黒光りしていた。
日本はまだ貧しかったけど、子供たちは幸せだった。
子供の仕事は、遊ぶことなんだ!
当たり前のことだけど、もうひとつ。
物が豊かであることと幸せであることは同義じゃないんだ!

ギョライスイテイ。
不思議なことに名前だけは記憶している陣取りゲーム。今考えると、魚雷推偵かな?
帽子を後ろにしたり横にしたりして2本の電柱を陣にして二手に分かれて夢中になっていた。コンピューターゲームに似ているものがありそうだよな。
でも、身体を100パーセント、使っているだけに、はるかに健全だよな。


フィリピンの町並みを歩いていると、「KUMON MATH AND READING」という看板を見かける。
公文?、おいおい、変なもの輸出するなよ。
時代の流れなのかよう。ああ、フィリピンの子供達も管理されていく。
でも、経済状況からいってもまだまだだよな。
ハハ、一安心。

by wakahiroo | 2005-01-25 11:02 | ○フィリピン点描
2005年 01月 08日

フィリピンの花(bulaklak ng Pilipinas) その2

散歩中、出会った南国の花達を続けて紹介しよう。
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こんな風にフェンスの上を飾るのも洒落ているよね。住人にお会いしたいな。品性、なんとなく感じ取れるよね。
まだ、クリスマス、新年のイルミネーションの豆電球も残っている。夜もきれいなんだぜ。

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フィリピン人の生活する場には、こんな花が咲いているんだ。
そして、花を愛する人達がいるんだ。日本の庶民と何も変わらないだろう。
日本人の感性には、色合いも形状も少々毒々しく感じるものがあるかも知れない。
風土、気候が違えば人々の嗜好、美意識、考え方、感じ方が違ってくるのは当然だ。文化の多様性だよね。地球には、いろいろな人々が生きているんだ。
それを認識できることが国際化ということなんじゃないかな。

でもね、今日、言いたいことはそんなことじゃないんだ。
フィリピン、フィリピン人と言うと、一般的な日本人は、怖い、汚い、危険だ、いい加減だ、信用できないというようなマイナスのイメージがどうしても先行してしまう。
意識下に深く根付いてしまっている。

こういう負のイメージを変えるにはどうすれば良いかについてなんだ。

先日、きれいな海、豪華なリゾート施設を紹介するTV番組があったが、それでフィリピンのイメージが向上すると単純に考えている人が意外と多いのに、驚いた(一部の人たちは意図的に問題をそらしているのだけれども)。
フィリピンの否定的部分、貧しさ、汚さ、危険、いい加減さをセンセーショナルに報道するのと、一般庶民の生活と隔絶した観光地を好意的に(?)空々しく報道するのとは、私にすれば、同じ次元に属するものだ。フィリピンを偏見を持って高みから眺めている点では、少しも変わりない。
経済的には潤っている国民の経済的に貧しい国民を見る、高慢で驕った心の表と裏なのさ。

そんなことで、フィリピンに対する負のイメージを払拭できるかい。
日本人の心の深層に染み付いたイメージを改善するのは、そんな簡単なことではできない。
まずは、日本の内なるフィリピンを変えないことには、どうにもならないさ。

このことについては、そのことで利益を得ている人たちは、隠して触れようとしないし、問題をすりかえようとする。

日本の内なるフィリピンを変えるというのはどういうことなのか、ここではあえて触れない。
しかし、歴史は必然的に変わる方向に進んでいくと最近は楽観的に考えている。

少子高齢化の極度に進んだ日本は、将来、他民族の移民国家になるしか、生きる道はない気がしている。

おいおい、話は、とんでも無い方向にきてしまった。
暇を持て余した、デスエーブルな隠居ジジイの妄念と思い、勘弁してくだされ。
ごめんなさい。

とにかく、フィリピンには、基本的には日本の庶民となんら変わらない、花を愛し、日々の幸せを願い、善良で優しい、普通の人々が生活しているんだ!!

by wakahiroo | 2005-01-08 12:40 | ○フィリピン点描